2月2日節分の日、森から鬼があらわれた!
子ども達の動物としての生命力を感じた日だった。
昨年の鬼さんを覚えている年長さん達は、登園時から緊張の面持ち。中には必勝アイテム(ヒイラギの葉っぱ)を持参している子も。
その雰囲気をそのままくみあげるようにスタッフゆかさんがそっと話し出す。
「年に一度、節分の日には日本中の森から鬼がやってくる。。。」
子ども達の沈黙の中、ぱち、ぱちと薪のはぜる音が響く。
じっと一点を見つめる子ども、「私の鬼は優しくて、ハート形なの。」と希望的観測に向かう子ども、それでも深まって行く子ども達の、自らにナイフのように切り込む深いまなざし。。
「弟にいじわるしてしまう鬼がいる」「おこってしまう鬼がいる」
大人でも痛くなるような作業を淡々とやってのける子どもたちの姿にただただ驚嘆する。
そして、緊張感がMAXに高まったとき、
黒髪をふり乱した二匹の鬼が、銅鑼の音と共に森の奥から現れた!
怖がるんでなく全力で鬼に立ち向かおう!と思ったのですが、野いちごさん達(年少児)に腕をしっかとつかまれて、身動きできず。ガタガタふるえる身体、小さな心臓のドキドキいう音がダイレクトに伝わってくる。
ふだんあまり何も言わない印象のNが、自分の前にいた子どもがいなくなって自分が前に出てしまったのに気づくとすぐに「だれかここ(私の前)に来て!!」と叫ぶ。恐れって、生き物としての本能なんだけど、それすらもすっかり鈍ってしまって、大事な子どもを守るための行動も、とっさにとれなかったり、ボケてしまってる大人の自分を思う。
鬼さんが去った後、年長児Sが両手を合わせて正座したまま「だいずはだいじ!」「鬼もやっつけるし、納豆にもなるし、みそにもなるし、、、」と天を仰いで唱える姿に、ほんとだなあ。。。と昔の人が食べ物にこめた祈りや信仰を思ったり。。
ひとしきり落ち付いた後、自分がいかにがんばったか、声高に言葉にしつづける子ども達。いかほどか大きなものをのりこえた自分と友達への誇り、すがすがしい表情。
でもみんな事後は「早くお母さんに会いたい!」でした。
息子のこと。
前夜に3回も起きた割に、鬼さんが来た時にはボーっとしていたので、寝不足かな。。と思っていた。
帰り路、聞いてみても「こわくなかった」「話しがむずかしかった(自分の鬼をみつめる、というのがよくわからくてできなかった)」。でも、昨年自宅に来た鬼が、今夜も来るかどうか気にしているので、もう昼間やっつけたんだったら、来ないんじゃない?と言ってもすっきりせず。「今夜来るかなあ、去年八時に来たから、八時にくるかもよ」
としつこいので、夜も来てほしいのかな?まだやっつけ切れてないのかな?せっ
歯磨き時、いつもなら暴れまわって怒られるところすごくいい子だなと思ったら、ちょうど八時前。寝る前に「一応豆を用意しといて!父ちゃんにある場所を言っといて!」「木のマスにちゃんと入れて!」と父ちゃんに指示を出して就寝。バタンキューで寝ましたが、夜中におしっこに起きた時に、「来なかったなあ」「昼間やっつけたからやなあ」と、やっと笑顔。昼間の鬼も、ちゃんと感じてたんだな。
年中児保護者 みほっち
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りえぽん (土曜日, 06 2月 2021 09:21)
噂には聞いていたけど、ナチュラの鬼は怖くて深かった!実際に鬼と対峙しながら、自分の中の鬼(恐れ、嫌な部分、変わりたい部分等)に向き合う。私自身、節分の鬼の存在を自分の中に見つけようとするのは初めての経験で戸惑ったけど、そこに向き合いたい、打ち勝っていきたいという想いを新たにする今年の節分でした。